日本店装のルーツ。それは大正6年、1人の若き宮大工が修行の為上京し英国人建築技師との出会いから始まりました。
建築技師の名はジョサイア・コンドル 明治政府が日本の近代化の為に、工部大学校造家学科(東京大学工学部建築学科の前身)の教官として招聘した建築家 明治二十一年に退官後、設計事務所を開設 数多くの明治の洋館を設計しました。 |
宮大工の名は小安 惣平
大正6年から7年にかけて晩年のコンドル氏の設計による末延家熱海別邸の施工以後、その教え子や日本の建築家達の棟梁として数多くの日本の近代和風建築を
手がけました。
「エクセレント」それは大正時代の宮大工が耳にした 英国人建築技師の「褒め言葉」だったのかもしれません。 |
日本店装株式会社の施工指針「IN PURSUIT OF EXCELLENCE」
「お見事と言われる仕事を心がけよう!」はここから生まれました。
大正・昭和・平成と時代は移り変わっても「物造りの気概」は21世紀へと受け継がれています。
その後、昭和31年小安惣平が小安工務店を麻布森元町に設立。 長男 小安得雄を工学院大学建築学科を卒業後、建設技術者に迎え個人の宮大工から会社組織に 改め、住宅を主としていましたが店舗・商業施設の施工にも着手するようになりました。
昭和37年小安得雄が商業施設の本格的な隆盛を機に台東区下谷金杉通りに日本店装株式会社を設立。兄弟を加え社員と共に組織の充実を図り主として商業施設・店舗の設計・施工をしてまいりました。
2024年4月より会社設立から63期目を向えるとともに商業施設はもとより新規業態の設計・施工もお手伝いさせていただき現在に至っております。
当時の写真や工事経歴書は近代和風建築に造詣ある方々にとっては興味深い貴重な資料と思われます。
現在この地は国際文化会館となって
小川治兵衛の手になる庭のみが当時の面影を伝えています。
※クリックで拡大表示します
芦ノ湖畔の土地の一部は現在、小田急「山のホテル」の敷地となっています。
※クリックで拡大表示します
※クリックで拡大表示します
※クリックで拡大表示します
麹町永田町の串田万蔵氏本邸を溝淵久万吉氏の設計により施工している事からその前後の築造と思われます。
※クリックで拡大表示します
現在この地は韓国大使館となっています。
松方正義氏の次男、外交官であった松方正作邸。
※クリックで拡大表示します
※クリックで拡大表示します
※クリックで拡大表示します
芝大門一丁目、現在の芝大神宮
※クリックで拡大表示します